優しい看護師さんとの出会いで看護師になりました。私もこんな関係になりたい。

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私は小児科の看護師をしています。

そのわけは、小学生の頃からの夢でした。

幼い頃に注射がどうしても苦手で、いつも予防接種となると大騒ぎしていました。

そんな病院嫌いの私が看護師になったのは、私の祖母が入院した時に出会った1人の看護師さんが関係しています。

彼女は、私がお見舞いで病院に行くと毎回声を掛けてくれるのでした。

その頃は理由は分からなかったけれど、後で聞いた話だと、祖母が看護師さんに私は病院が苦手だから病院は怖い所ではないと教えて欲しいと頼んでいたのです。

看護師さんは、いつも学校の話を聞いてくれたりと心の支えにさえなりました。

私は片親だったのでとても心地良かったのです。

祖母が退院する頃には、看護師さんと大の仲良しになっていました。

病気だけではなくて患者の家族の私を支えてくれた看護師さんに感謝すると共に、私もそんな彼女の様な仕事につきたいと思うようになりました。

それから、看護師の道を選び小さな子供達の心の支えにもなれるような看護師を目指しています。

先日、お姉さんみたいな優しい看護師になると1人の女の子が私に言ってくれました。

その子は、喘息がひどくよく病院に来ていたのです。手紙も書いてくれたり、私からも返事を返したりして仲良くなりました。

こんな関係を作ることが出来て今、看護師になって良かったと思っています。

泣いている子供を少しでも笑顔に出来るように毎日働いています。(31歳、女性)

患者様、そのご家族の笑顔が私のちからになる。感謝の言葉は最高です

看護師になって様々な疾患をかかえる方と出会いました。

緊急で来られてすぐに良くなって退院される方、ずっと入院生活を送ることを余儀なくされている方、入院後に亡くなられて退院される方。

どの患者様にもよくなってほしいと思い看護していても、それが叶わないのが現実です。

私は集中治療室勤務なので、その中でも手術後に一度も退院できずに亡くなった方はとても印象に残ります。

手術後あらゆる機械がつながれた状態でご家族の面会があります。

その後もなかなか状態が改善せず、あらゆる治療を行いました。その間ご家族は毎日面会に来られては私に経過を尋ねていました。

その後、状態は悪化してゆき、おそらく今日もしくは明日お亡くなりになるだろうと予想できるほどとなりました。

ご家族はずっと病院にいらっしゃってくださいました。ついにその時がきたとき、いままで手術後一度も開眼されなかった患者様がご家族の前で目をあけました。

もちろん何かに引っ張られたとか、自発的な開眼ではなかったかもしれませんが、それでもご家族は喜んでいました。

その後すぐに目は閉じられ永眠されました。

お身体をきれいにしてご家族の元へとお送りしたとき、ご家族に泣きながら笑顔でありがとうございましたと感謝のお言葉を頂戴しました。

本来であれば元気に退院していただくことが喜ばしいことですが、ご家族の笑顔に救われました。

この患者様の担当看護師で本当に良かったと思いました。(33歳、女性)

あなたが担当でよかった。その笑顔が見たくて看護をしています。

現在訪問看護をしております。

COPDで余命数ヶ月の方が看取りのために退院されてこられました。

私が担当となり訪問。COPDに一番良いのは離床だとおもっております。

訪問看護は1週間に3回、PTは1週間に2回訪問。レベルはクリアでしたが、すっかり病人になりきっていました。

「もう、死ぬのだから」という言葉が最初の言葉でした。

私は、例え余命1ヶ月でも生きる気力を残すと、寝たきりのままやりたいこともやれず、終わってしまう運命よりも、2週間でもご本人らしく迎えていただきたいと常
に思っておりましたので、私が最初にご本人にかけた言葉は「どうして寝ているんですか?起きますよ」です。

ご本人も家族もびっくりしながら、私を笑いながらも不思議そうな顔をしながら、疑うように見ていました。

多分、変な人が担当になったと思ったのでしょう。

訪問PTと連携し、オムツだったのをトイレでの排泄へ。

病院では誤嚥性もないのに、ほとんど点滴でした。

最初、食事も高カロリーの物を取り入れ免疫力も高め、好きなものを回数を分けて少しずつ摂っていただき、徐々に普通に摂取できるようになりました。

加湿と呼吸法、自立心と本人の意欲と合わせ、ご家族の支援も行いました。

下肢の筋力アップやリラクゼーションは呼吸にも大きな成果をあげ、入院することなく在宅酸素も使用することなく安定。大好きなカラオケへ行くようになりました。

外出できるのだという自信につながり、地区の行事に参加され旅行へ誘われ、本人が「行きたい」と希望あり、旅行へ行けるようなリハビりをPTと看護で開始。

退院後、半年で1泊の旅行へいけました。

余命数ヶ月と言われた方が旅行へまで行けるようになったのです。

本人は死を迎えるどころか今は孫を迎えております。

「最初はどうなるかと思ったけど、あなたが担当でよかった」と笑って暮らしております。

その笑顔が見たくて残存機能維持できるよう看護しています。(34歳、女性)